運営者体験記 其の5(中国編 9時間かけて彼女の実家へ)
| <5> 初めての外国 中国編・9時間かけて彼女の実家へ 携帯の目覚まし、アラーム設定を1時間、間違え早く来てしまったのでした。 私達二人はその場所で最初はクスクス笑いはじめ後は、大笑いしてしまいました。 あいた時間は朝食でもと、二人は駅の前横にある広場の端にあった食堂で冷たい麺を食べました。その後私はトイレに行こうとさがそうとしたら、彼女が駅前の有料の所しかないと言うので入りました、想像してたとうり中はとても汚くてすごい匂いがしていました、そしてトイレットペーパーなどもちろん無く、水も勢いが無く、きれいに流れていなく、私は息をできる限り止め、用を足し早々にそこからでました。 (ちなみに料金は入口で1元とられました) そうこうしていると、向こうから時間どうりに兄夫婦達がやってきてすぐにホームに行き電車に乗り込みました。 6人で座ったのは電車の中の、通路を挟み私と彼女の2人、兄夫婦と子供2人の4人で座りました。大連駅始発でも乗客がすごく多く、最初は4人分しか席がとれずに兄嫁の膝に2歳の息子が座り、横に兄が立ってくれていました。 ホテルで彼女が言った言葉を思い出し私は無言で座っていました。 それは、「明日の電車とバスの中では決して言葉をださないように」でした。 電車の中は人と荷物でギュウギュウ詰めです、この状態でも泥棒やスリが多い為だそうです、しかも1人ではなく数人で組んでいるのだそうです。私のトランクは日本ではごく普通のなのですが、ここでは何か目立っていましたので兄が自分の所でしっかりと見ていて、守ってくれていました。3,40分すると席が空き兄も座ることができました。 この時でも他の人達と兄とで席の奪い合いがあったようですが、私はまわりの人達の話す声がやけに大きく、人もギュウギュウ詰め通路越しでも見えません、そのやりとりは気付きませんでした。 (中国語です、当然何を言ってるのもわかりません) 電車の中の人達はほとんどが出稼ぎのような人や、農作物など物売りの人達が多く風呂敷みたいな布包みの荷物を持っている人が多く見られました。 私達6人は、これからこの電車で目的の瀋陽駅まで約5時間かけて行くそうです、瀋陽駅で今度はバスに乗り撫順市まで約1時間かかり、撫順市で又バスを乗り換え、新賓満族自治県に向かいます、新賓行きに乗ります、新賓の手前、永陵鎮という所が約1時間半ぐらい行くとあります、そこが彼女の実家がある所です。 全行程は約8時間は軽くかかったと思います。 道中は長く、辛かったのですが、行く先々や途中で、私は驚くことばかり経験をして退屈はしませんでした、たとえば、電車とバスの超定員オーバー・イスの座る所は鉄骨(フレーム)が出ていて道もかなり悪いので着くまでずうっと痛かったのです、灰皿も取れていて無く下は吸いがらとゴミだらけ、お茶を買ったら砂糖入り、バスもずいぶん使い込んでいるようで、2台共古く、エアコンもありませんでした。 町に入っても色々な乗り物でゴッチャ、ゴチャ、乗り換えで歩いて道路を渡るのも危なくて大変でした。(信号も無いのと同じでした)延々と続くトウモロコシ畑を見ながら、ようやく目的地の永陵鎮に着いたのは夜の7時頃になっていました。 |
<5> 初めての外国 中国編・彼女の実家 彼女の家族のいる所は遼寧省撫順市新賓満族自治県永陵鎮という地名です。その永陵鎮でバスを降りました(バス停はありません、適当に止まる) 兄がすぐ知り合いのタクシーを1台呼び、私達2人と子供2人の4人が乗りこみ、兄夫婦はバイクを町の友人のところに置いていたらしく、タクシーの後をついてきました。 幹線道路から脇の道に入ると、まったく舗装はしておらずガタガタ道を進みます以外と近く5分もかからず彼女の実家に着きました。 両親と隣に住む叔父さん家族も私達を出迎えるため、家の入口に集まっていました。 (兄がバスが着く前に携帯で連絡していたのでした) 荷物を降ろし家の中へ案内され、彼女と私は入りました、彼女は早速両親のそばにいき、なにやら話しています、両親は頷いています、すると彼女は両親と一緒に私の方に4歩、5歩と歩み寄ってきました、両親は固い表情です、どうしたら良いのか迷いました言葉もできないのです。 私は、まずはニッコリと笑い手を出し握手を求めました、そして「ニイハオ」と言い二人の手をガッチリと握りしめ握手をしたのでした。(中国語のできない私の精一杯の挨拶です) するとどうでしょうその私の気持ちが通じたのか、両親の表情が和らぎ、兄夫婦はもちろん、伯父さん達家族まで皆がすごく好意的な笑みを浮かべ私を見ています、私はそれを見てすごく落ち着き「これでよかった、何とか通じてくれた」と思いました。 そのあとすぐに食事の準備がはじまりました、私達が来るまで食事をせずに待っていたとのことでした。彼女と両親と兄は話しています、兄嫁と伯母さんが食卓に運んできます、皿に沢山盛った水餃子が、冷麺が、パンみたいな麺が、ビールと地酒が、鶏肉と野菜の料理物が次々にでてきました。 その料理を見る子供の目でわかります、私のため特別なのだと。 お腹も空いていました、水餃子がとてもおいしくビールが(やはり冷えてない)すすみました。 みんなは、食べながら楽しそうに話をしていますが、言葉がわからない私は冷麺と水餃子が口に合い、ただモクモクと食べていました。 食後も彼女と両親と兄は何度も話をしているようでした、2時間位たったらスイカなどの果物を持ってきましたが、私はすきっ腹に酒と食事、昨日の台風の中の強行運転、今日の長い移動と酒の酔いもあり、頭は痛くなり、もうクタクタになっていてとても果物を食べる気にはなりません、彼女は私のそんな様子がわかったのか、私に横になるように隣の部屋に連れて行ってくれ、枕を出して布団を敷き、休むように言ってくれ私は服を脱ぎそのまま朝まで爆睡でした。 翌日は親戚の人達が朝早くから次々と家に来ていたみたいで、話声が聞こえていたのですが、私はなかなか起きれずに布団の上でまだウトウトとしていました。 実家での初日はゆっくりと過ごしました、彼女は言葉のわからない私に気を使い、色々と世話をしてくれてあまりゆっくりできなかったようですが。 2日目からは、私が来た最大の理由である、この中国での国際結婚の手続きと結婚式です。 {新賓満族自治県永陵鎮老城村は、赫図阿拉(へトゥアラ、ホトアラ、天聡8年(1634年)に興京と改称)があったところで、ヌルハチの出生地で、清朝発祥地の地である。鎮の名前にもなっている永陵があり国家4A級観光地に指定され、国内外からの観光客が訪れるそうです) |
運営者の中国 国際結婚 連続体験談集その1
・その6

