運営者体験記 其の2(結婚への出国)


<2> 親・・編                              彼女は帰ってから両親と兄夫婦に私との結婚を一生懸命になって訴えたそうです。
やはり両親が一人娘を遠くにましてや外国に嫁がせるのに難色を示しなかなか許す言葉が出てこなかったそうです。
でも兄夫婦が彼女と一緒になって説得をしてくれ、ようやくというか、やむなく承諾してくれたそうです。妻はがんばってくれましたが・・・
中国の両親 結婚訪中時の中国の
ご両親と・・・
私を見て安心し喜んで承諾してくれました

さあ今度は私の方です、私の場合母にまだ何も話しておりませんでした、母は現在入院しております。
3年前に父が脳梗塞で他界し母もやはり相当気落ちしておりましたから1年位たった頃から体調を崩し始め85歳の高齢のせいもあり足の指先まで血流が行かなくなり手術をして足首から下のカカトだけ残しました。(カカトが残れば少しずつでも自分で歩けるということで)自分の足先が無くなり二重に気落ちしていて、とても国際結婚を・・と言い出しにくかったのでした。
でもそんな状態で入院している母に報告しないわけにはいきません。
その日がやってきました、部屋に入って説明をしながら母の表情をみていると段々とこわばってきたのがわかりました。
そしてまだ話も終ってもいないのに黙って部屋を出ていってしまったのです。
私ひとりしか子供がいなく自分のそばにはもう誰もいなくなってしまうように思えたのでしょう、きっと。
それからは母に理解を得られるよう病室通いが始まりました。ようやく話を聞きいれて私を励ますような言葉が出てくるようになったのは、私のパスポートや彼女の写真、書類などを見せたときでした、もうあと数日で中国に行くという頃になってからやっとでした。(これで双方の親が承諾したわけです)

<3> いよいよ出国・・手続き 編 
関係する書類を揃えるのに最初は何から手続きをしていいのか?どんなものがいるのか?私の場合紹介は紹介でも全部手続きは自分でしなくてはなりませんでしたからかなり大変でした。
紹介した友人も国際結婚の手続きとなると全然わかりませんでした。
最初は市役所、県庁、中国領事館、法務局、入国管理局、外務省東京本省、大阪支省、などなどカタッパシにまずは電話で聞きながら、2度、3度と書類の郵送を繰り返 したりもして、すべてが手探りの状態で行いました。市役所なんかでは、証明等の発行はしても、こと国際結婚の手続きを尋ねるとなるとそんなのここでは解かりませんとの事、(向こうからすれば当然なのでしょうけれど)それなら県庁だったら詳しいのではと自分で勝手に思いこみ問い合わせてみるなどと今にして思えば、そんな所に問い合わせても?と思うんですがその時は日にちも限られているので必死でした。
初めて外国に行くのでパスポートやビザなどの申請の仕方も解りません。
2003年8月8日15時30分発、福岡空港から中国の大連空港までの便に乗るチケットを求めるのでさえ不安な自分でした。(今までプロペラ旅客機の頃に1度と後でも2度しか旅客機に乗った事がないのですから)そんなこんなで承認印や発行してもらった書類、取り寄せたものとかを何度も何度チェックしたり、中国の瀋陽にある 国際結婚の役所で届け出をして受理するまでに持っていく書類などもそうでした。
パスポート、チケットなども全部の準備が整ったのは出発する数日前です。バタバタというか結構冷汗ものでした。当然それまでに私の場合はボストンバッグから買い物をしなくてはなりませんでした。
                         其の3へ続く

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